こんにちわ SHIN です。
先日、友人からエレベーターに乗る人がマナー悪くてイライラするという話をされました。
その内容が、「先にエレベーターに乗ったのに自分が停まる階ボタンだけを押して奥に行くヤツありえない!」というもの。
しかし、そんな話をされた対象の自分が、会社ではむしろ最初にエレベーターに乗り込んだ場合、行き先階ボタンをおして奥に行くようにしていたので、
そんなマナーなのか!?と驚きでした。
みなさんはどう思いますか?
色々な意見が出ていて面白かったので少しまとめてみました(^_^)
ネット上の意見は約7:3程度に分かれる
ネット上で「先にエレベーターに乗った人はボタンの前に立つべきだ」という意見に対しての反応を調べたところ、同意している人はおおよそ3割程度でした。
ネット上なので「同意をわざわざする人」よりも反論する人の方が多い気もするし、もう少し同意派は多いかもしれませんね。
僕は、既に書いた通り、行き先ボタンを押して奥に行くほうなので、この意見には否定派になるんですが、言いたいことは分からなくはないです。
古いエレベーターですぐにしまるやつとかもあるので、乗ってから奥いったら後から乗る人がいるとき挟まっちゃいますしね。
ただ、そういうエレベーターって狭いかったり古かったりすると思うんですよね。
イライラすると言ってた友人は、会社のエレベーターの話をしていて、20人とか乗れる大きなエレベーターです。
そういうのって、朝の通勤のタイミングで列に並んで何人もがぞろぞろと乗るのが前提なので、結構長いこと開いてますよね。
階数も10階以上あって、何人もがそれぞれ行き先ボタンを押すのに、ボタンの前に立たれてるのって結構邪魔な気も…
ただ、わざわざ『開』ボタンを押しててくれてるのに、邪魔だなぁ…という風に思う人はそんなに居ないと思いますが、
「押してなくてもそうそう閉まらないから奥へ詰めてくれよ」
って思う人もいるような気もします。
肯定派の考え方
僕の友人も、ドアが閉まって挟まれたとかいう話ではないのですが、マナーとして先に乗ったのにボタンの前に立たずに奥にいく人をみるとイライラすると言っていました。
どうして奥に行くことを否定するのでしょうか。
ネット上での意見をみるとやはり『閉まるかもしれない』状況なのに『開』ボタンを押してあげないのは非常識。
そして、そのままボタンの前に居るのだから、人が降りるときも『開』『閉』ボタンを押すべきと思っている事が多いようです。
一番最初に乗った人は、他に乗る人がいる場合ボタンの前に立つのが普通ではないのでしょうか?
誰も『開』ボタンを押してなくてまだ乗る人がいたのにドアが閉まりそうになり、後に乗った自分が慌てて開ボタンを押したことがあります。
先に乗った人が奥に詰めてしまうと、後から乗る方が乗ってる最中に扉がしまってしまうということも当然あり得るので、先に乗った方が開くボタンを押しておくのはとてもいいマナーのような気がします。
否定派の考え方
僕は否定派になりますが、完全否定はというわけでも無いのが正直なところです(笑)
ボタンを押すこと自体の否定派から、「常識としてやるべきだ」という主張に対しての否定派とがありました。
そんなマナー本当にあるんですか?「開」ボタンを押すのは、たまたまボタン前に立った人や気付いた人が押せばいいだけ。
大勢の人が乗り込む時、一番最初に乗る人が前に立たれると邪魔でしかない。その方がむしろイラッとします。
そのままボタンの前に居座っちゃったら みんなに『何階ですか?』と声をかけるか『何階お願いします』と声をかけてもらわないとだめですよね。
なんかそういうのが煩わしいというか…。それぞれで乗る時に押して行ったらいいんじゃないの?と思っちゃいます。
よほどの乗り降りがない限り、乗った人が自分の行き先階を押して奥につめていく方がスムーズなように感じます。
誰かが開くボタンを押し続けなくても、普通に乗り降りできるくらいの時間は扉は開いていると思います。
タイミングによるのではないか
いかがでしょうか。どちらもそれ相応の理由をもっているような気がします。
習慣として有るなら素晴らしいと思います
僕も先程、エレベーターでは自分の行く階のボタンを押して奥に行くといいましたが
すべての状況でそうするというわけではないです。
会社の同僚等の知り合いが数名しか乗らない時は、率先して行き先階のボタンも押しますし、開閉もします。
デパート等のエレベーターでボタンの前に立ったときは、開閉もしますし、場合によっては乗ってきた方へ「何階ですか?」と聞くこともあります。
奥に行くときは、大人数が乗るエレベーターで、扉が長く開いていて乗り終えるまで閉まりそうにない場合や、誰がどの階に行くのかが不明なので行き先階のボタンが押しやすいようにスペースを空けておくなどを無意識に考えてました。
ただ、乗り降りの際に『開』を押してくれる、人が降り終えて誰も乗ってくる様子がなければ『閉』を押してくれるのは思いやりがあって素晴らしいなと思います。
降りるときに『開』を押してくれたら、実際は『開』を押さなくても降りるには十分な時間開いているとは思いますが、それでも押して先を譲ってくれていることに感謝して会釈でも言葉でもお礼をします。
様々なケースを想像すればよいのでは?
僕が友人からこの話を聞いたときに思ったのは、他人に対して『期待しすぎ』なのではないかな?ということでした。
期待というのは「自分だったらそうするので、相手もそうするに決まっている」と思ってるという意味ですが、
「自分ならこうする」と思っていることが大多数の人間が行っている、行うべき常識であるという判断になってしまい、他人が自分と同じ行動を取っていないと怒りを感じてしまうのでは無いかなと思いました。
ただ面倒くさいから、人に何の配慮もする気がないという事でボタンの前に立たない可能性は大いにあると思いますけど、
悪気なくその場の状況に合わせて奥へ行く判断をしている場合もあるわけなので、はじめに乗った際にボタンの前に立たないだけで最低なやつだみたいに思ってしまうのは期待しすぎてしまっているのかなと思いました。
この人は無いな~と思ってしまうパターンとして、いつ閉まるかわからないエレベーターで、荷物をもちながら乳母車を押している方がいるのに、平気で奥へ行ってその方が乗り込む時に挟まってしまったと言う状況なら、
奥に行くのは配慮の欠片もない人間だなぁと感じてしまうと思います。
ただ、それでも、単にその人が気がついて無かっただけで、挟まってしまった時に「あっ」とすかさず開くボタンを押すような
「普段はするけど、そのときだけ悪気無く出来なかった」という場合も想定されますし
心のゆとりを持って、ストレスを溜めずに過ごしていきたいところですね。
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