ドラマ『嫌われる勇気』で説明されたアドラー心理学の目的論はイラっとした感情を消し去っているのではないか

あ、すみません、いきなりで恐縮ですが、アドラー心理学自体ちょっとあやふやです。

興味はあるけどまだちゃんと読んだこと無い。ドラマの嫌われる勇気は観てます!←

えっ・・・アドラー心理学を体現するとこんな無表情で、あたたかみのない人間になっちゃうの( ゚д゚)!? っていうドラマ・・・



もっと笑顔が素敵な香里奈がいいんですけどっ!!


「それはあなたの理想であって、私には関係ありません」とか言われそーー



まぁ、あの無表情で冷たい感じっていうのは、過去に何かがあって・・・みたいな脚本上のキャラクターだと思うけど・・・



アドラー心理学についての本はまだ読んでないので、今度読みたいなと思っているんですが、心理学を学んだ方の執筆された本は数冊読んでて、すごい意識を変えてもらったなって思ってます。

※影響を受けた心理学関連の本

ドラマ『嫌われる勇気』にも、上記2冊の中にも書いてあるホメオスタシスについてのことだったりが出てきて、「あ~!あれねぇ~知ってる知ってる!」っていう地獄のミサワ風な気持ちで観てるわけですが

アドラー心理学については、ポジティブチェンジで少し触れていてほんのちょっと知ってたくらいでした。



このドラマにもよく出るアドラー心理学の「目的論」っていう考え方。

つい先日にイラっとした感情が芽生えた出来事があったんだけど、その感情が消えた時に 『これが目的論ってやつなのかっ!?』( ゚д゚) って思う事があったので、そんなお話。

バンドで演る曲決めでわがままを通される

※ここからはバンドに関する具体的なエピソード(長い)なので読み跳ばしてもいいよっ!——–>

バンドとかやったことがある人には あるある だと思うんだけど。

高校生の時なんかにコピーバンドやろうってなって、そのアーティストの曲から「これとこれやろう!」って決めるわけですね。

その時に、自分がやりたい曲を多く通そうとするわけですw

好きな曲とかは人それぞれなので、あまり好きじゃない曲をやりたいっていう他のメンバーも居るわけですよね。

僕の場合には、無理に自分の意見を通してやる気が削がれ、バンド自体が出来ないのはアホらしいので、不満がでないよう平等にそれぞれの好きな曲を均等にやるようにしたいわけです。

この考えって自分の中では普通じゃないかなって思ってたんだけど、そんな平等主義の人間ばかりいたら戦争も何もおきないぜよって言う話で、色々難癖つけては自分の意見を通そうとしちゃう人が居ます。

先日の出来事というのは、この曲決めをメールでのやり取りで行っていたんだけど、一人2曲づつ上げて行って決めようというので、それぞれが2曲づつ出したわけです。

上がった曲は8曲。ライブでは9曲位できるというのに何故か『この曲とこの曲は似ているのでこっちの曲にしました』と僕が上げた曲を不採用で、代わりに自分が新たに上げた曲をだしてきてどうでしょう?と言ってきました

その上で、9曲目にこの曲とを入れたらバランスが良いと思いますと言ってきます。

勝手な自分の思い込みで、人の提案を却下すんなや!!!!

ってこちらはなるわけですよね。

似ているという主張も何を以って言ってるの?まだ東京で消耗してるの?と納得行くレベルではない

その上で、ライブの時間的に9曲のところが10曲できるように変わったとなったので、却下された僕の提案した曲をいれましょう!となるかとおもいきや

ライブ観に来てくれる友人がどうしてもこの曲やってほしいって言われちゃったんですけど

とか言うわけです。

<-----------------読み飛ばしここまでっ!

要は、皆から希望を出してもらって、すべて叶えられる状況にも関わらず、人の希望をもっともらしい理由をつけて却下し、自分の希望をもっと叶えようとしているわけです。

はじめから「自分の希望を叶えたいのでバンド一緒にやってくれない?」って誘われてるなら何とも思わない所なのだけど、普通にメンバーを集めて、それぞれの希望まで出させて、それを叶えられるのに (ここ重要!) 納得の行かない理由を着けて却下して、もっと自分の希望を通そうとする

こちらとしては、納得行きません。イラッともしますよね。普通だと思いますw

で、その感情をぶつけてやろうか!? と思ったんです。

メールでその意見が来てたので、返信文に↑みたいな事を書いてたんですが、まぁ待て と。

一息ついて、『自分は何に対して怒っているのだろう?』 って考えました


怒りを沈めるメカニズムと目的論的思考

ここでアドラー心理学の『目的論』を調べてみました。

アドラー心理学の目的論とは『行動や感情は、目的のために創りだされる』という理論です。

出典:ここらぼ心理相談室(https://www.cocolabo.me/adler-mokutekiron/)

反対の考え方に原因論があるんですが、重要なのはどちらに焦点を当てて考えるかということみたいです。

今回の件で『自分は何に対して怒っているのだろう?』と考えたとき、怒り・憤りの先にあるのは『自分が思っていたことと違う』ってことだとおもいます。

まぁ、『怒りの原因は何か?』と考えた場合、理由は概ねこれですよね。



今回の場合、『自分が思っていたことと違う』の『自分が思っていた』ことが何なのかと考えると『みんな平等に意見(各々の好きな曲)が通ると思っていた』のかなと思います。

しかし、そもそも なぜ自分が今回の意見を出したのか?っていうところを考えると、怒ってる理由が少しズレてるな と気づきました。

結局は、自分が演奏したいそのアーティストの曲はたくさんあって、2曲選べと言われて選んで出しただけ。

バンドは一人で演るわけではないので、自分がやりたい曲ばかりがバンドで出来るとも思ってなかったし、自分がやりたい曲がある程度やれるのであれば、元々そのアーティストのコピーをやりたいと思っていたし、『楽しくコピーバンドでライブを出来ること』が目的だったなと思うわけです。

今回不満に思った理由は『みんな平等に意見が通ると思っていた』のに、勝手に意見を拒否されたことだったと考えると、 『楽しくコピーバンドでライブを出来ること』という目的を達成するためにはそこで文句を相手に伝えることよりも、楽しくライブが出来るように調整することだなって考え方が変わりました。

そう考え方を変えていくと、怒りは少しづつ沈んできます。(相手の対応に対する不満は消えませんがw)

目的を達成するためには、そんなところは問題じゃないっていう感覚ですかね。

で、『嫌われる勇気』のドラマで椎名桔平(心理学者役)が話しているようなアドラーの目的論の説明だけだと、少し解釈違うかもとは思うんですが、説明が付くような気がします。

目的論の『目的』を変えれば行動が変わる?

ドラマの『嫌われる勇気』で椎名桔平が話していた目的論の説明で『自分が○◯したいから、その理由を過去から持ちだしてきた』というのがありました。

何かが起きたから泣きたい のではなくて、泣きたいから、それに理由をつけたという考え方ですね。

その考え方、実に面白い!(ドラマ違う)

そんなこと言ったって、理由となる出来事が起きなかったら泣きたくもならないでしょ!?と思っちゃったんですけど、自分の行動を振り返ると納得がいくことがありました。

例えば、感動的な映画をみたときに、涙をながすために、同じシーンのことを頭で繰り返してイメージすることがあったりします。 これは泣きたい(感動したけど泣かないとスッキリしない)ので、感動できる理由(そのシーンの登場人物の感情など)をイメージすることがあります。

つらいよね~つらいよね~(´;ω;`)ブワッ みたいな!

これって、アドラーの目的論のような気がします。

泣きたいと思ってもその理由が無ければ、なかなか泣けないわけで、怒りたいと思ってもその理由がなければ怒れません。

逆に言うと、怒りたいと思ったときに、過去に起きたことをリアルに思い出せれば怒れます。

怒りを覚えた出来事を思い出すと、だんだんイライラしてくることってありますよね。

そう考えると、目的論的な考え方をすることで感情のコントロールをすることができる可能性があるってことですよね。

まとめ

今回のイラッと事件で、最終目的?達成のためには、今回のことは怒ってもあまり良い事は無く、自分がスカッとするだけ。

怒ってしまった場合には、もしかするとバチバチと火花が散ってバンド止めるという結果になり、結局最終目的であった『楽しくバンドでライブをすること』自体ができなくなる可能性もあります。

今回のようなコピーバンドでのちょっとしたいざこざは、『別にそんな人と一緒にバンドなんかやらなきゃいいじゃん』っていう元も子もない結論に至ることもできるので、怒りたければ怒って不満をぶつけてさようならでもあまり問題にならないかもしれないんですが

これが、仕事のプロジェクトだったらそうは行かないわけですよね。

『嫌われる勇気』のドラマで説明されているようなアドラー心理学の一部を個人的に解釈したに過ぎないですが、こういった考え方はアンガーマネジメントに通ずるところがあると思います。

 

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